成長の幻想と鬼

近代の農業生産を高める技術は、
資源や物の循環を早める事が
基本となっているとされます。

地球が数百年かけて作った資源を
短期間で必要以上に消費する事は
進歩や発展と言える物ではなく、
後世にツケを押し付けるだけの
搾取でしかないでしょう。

必要以上の贅沢を維持するため
無限成長が必要となる経済は
地球を破壊していきますが、
成長期を過ぎたのに中身がなく、
体ばかり大きくなっていく姿は
ブラックジョークにもなりません。

自分の行動に責任を持てるのが
成熟した大人の行為ですが、
仏教では自分の事しか考えない
身勝手な人を餓鬼と呼び、
幼稚な人をガキと呼ぶのは
ここに由来しているようです。

無責任に飽くなき欲望を追及する
近代文明の姿は餓鬼その物ですが、
鬼が悪者扱いされる呼び名です。

仏教と言っても釈迦が説いた話に
鬼が登場している訳ではなく、
後に付与された話になりますね。

私の著作を読んでいる人であれば、
仏教と言っても大乗か小乗かの
違いを明確にしたい所でしょう。

鬼神を悪者扱いしている文明が、
餓鬼のように支配を拡大する
無茶をしてきた歴史がありますが、
百済や高句麗は大乗仏教信仰で、
侵略が好きだったようですね。

四天王の多聞天は侵略者に信仰され、
ゾロアスター教のミトラに由来する
神である事は行基の本に書きました。

多聞から聖徳太子が大勢の言葉を
同時に聞き分けた伝承に繋がり、
ミトラ由来のキリストの伝承から、
馬小屋で生まれた話とリンクします。

この時代はソグド人が勢力を広げ
金融でも力を持っていましたが、
一神教を信奉し金融を行うのは、
ユダヤ人を連想させるに十分です。

自らの傘下に下らない存在を
悪魔扱いし勢力を広げる思考は、
イギリスに引き継がれていますね。

イギリスによる植民地拡大の歴史は
この周辺の歴史の流れの上にあり、
日本も黒船来航時の対応如何で
更に酷い事になっていたでしょう。

二系統存在する岩戸開き神話も
片方は騙しと暴力による支配で、
片方は自然のサイクルと合致した
農耕に纏わる物になっています。

自然のサイクルを無視した
飽くなき欲望の拡大は
搾取無しには成り立たず、
地球が許容出来る限界が
その終演となります。

鬼門はサイクルの節目で、
直接的な成長を目指す経済と
根幹から違っていますが、
循環で深まっていくのは、
太極拳の型を連想させます。

鬼の否定は循環の否定に繋がり、
自然界から解離した文明の根幹に
大きく横たわっていますね。

鬼を悪者にしつつ悪鬼紛いの
非道な搾取を続けた文明も、
枝葉の見直ししか提唱されない
余りにも貧弱な状態にあります。

その原因の一つはヘレニズムの
歴史が封印されて来た事により、
根幹にある信念体系そのものを
相対化出来ていない事にも
あるのではと思っています。

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