星座と都

紀元前二百年頃に日本に渡来したとされる徐福は
孔子の弟子の子孫ともされていますが、
儒教でも風水は重視され、墓相だけでなく
都市開発も考慮に入れられてきたようで、
「帝都は必ず星垣に台うを論ず」と記されています。

天象と地形は互いに上下で相似し、
天にありて帝座(玉座)を中に持つ星座が
地にりて帝の住まう都となるとします。

人は下(現実)ばかり見ても上(理想)ばかり見ても駄目で、
上下左右に視野を広くとる事が重要なのでしょう。
天のみでも地のみでもなく天地が交わり万物が生成するのが
この世界の在り方であるのならば、
全体を見なければ国土開発も歪なものになるでしょう。

中国の都市開発では紫微・太微・天市の三つが重視され、
中国科学史・中国天文学の世界的な碩学である藪内清氏は
『支那の天文学』(恒星社昭和十八年刊)でこう解説しています。

「史記(天官書)では全天を五官に分け、北極附近を中官とし、
其他を東、南、西、北の官に隷属せしめた。
次に晋書(天文志)では中官に対し赤道以南の星座を外官とし、
残りを二十八宿に分属して説いている。
これに対し歩天歌では、北極附近を紫微、太微及び天市の三垣に分ち、
残りを二十八宿に分属せしめている。
全天の星を三垣二十八舎によ呼称することは、
実に歩天歌に始まるものと言わねばならぬ。
そして此の分類が後世にまで踏襲されて来たのだ。」

紫微垣(しびえん)の中心は、宇宙の中心である北極星。
太微垣は天帝が祭りのお下がりの供物を受け取り
自身の功業を告知する場所。
天市垣(してんえん)は天帝の泉布(金銭)の蔵とされ、
これらを中心とした天象を地上にうつすように
都市開発がなされたとされます。

経典には詳細が記されていますが、
現代とはベースとする宇宙観からして違うので、
科学的な見地から否定する人もいるかも知れません。
聖書を否定する形で科学を発展させてきましたが、
ここには聖書以前の太古の世界観が息づいています。

人は小宇宙で都市も宇宙の写しであるとするのは
古代世界に普遍的にみられる世界観ですが、
東洋医学や太極拳を始め都市開発に至るまで
同じ道理を元に理論構築されてきました。

自然を搾取対象として見る現代文明は、
もう一度この壮大な宇宙観を見直す事で、
自然との共生を別次元で模索することが
出来るのではないでしょうか。

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