漢水の女神1

以前、水神の詩についての記事を書きましたが、
風水で重要視される水は都市開発で考えられて終わりではなく、
祭祀を行う事で恵みを得られると考えられていたようです。

日本では水の女神は瀬織津姫やミズハノメの神が有名ですが、
中国では詩経に漢水の女神を讃える詩が残されています。

南有喬木 不可休思
漢有游女 不可求思
漢之廣矣 不可泳思
江之永矣 不可方思

翹翹錯薪 言刈其楚
之子于歸 言秣其馬
漢之廣矣 不可泳思
江之永矣 不可方思

翹翹錯薪 言刈其蔞
之子于歸 言秣其駒
漢之廣矣 不可泳思
江之永矣 不可方思

南に高木はあるが  息うことはできない
漢水に游女はいるが 求めることはできない
漢水は広く     泳いでは渡れない
江水はながく    いかだでは渡れない

茂った草木     その小枝を刈り取る
この子ここに帰る  その馬にまぐさを与える
漢水は広く     泳いでは渡れない
江水はながく    いかだでは渡れない

茂った草木     その山ヨモギを刈り取る
この子ここに帰る  その駒にまぐさを与える
漢水は広く     泳いでは渡れない
江水はながく    いかだでは渡れない

詩経では南を神聖な意味として扱っている箇所が幾つもあります。
銅鐸とペアで語られる銅鼓も南と呼ばれていたので、
銅鐸を持ち込んだ徐福の王朝にも関係するかも知れません。

漢水女神は洛神賦・楚辞・列仙傳・拾遺記などにも登場し、
中国の四大大河には長江に巫山女神、黄河に洛河女神、
湘江川に湘水女神、漢江に漢水女神が存在するとされていました。

游は説文では水の上を浮行するものをいい、
漢水の上を遊動する女神としています。

グラネーによれば蔞(小枝、あるいは山よもぎ)は
儀式的な目的を持つ薪・すなわち祝火であり、
蔞を燃やした香は神を降すと信じられていたとし、
祭祀で神が現れる時に乗るのは駒(特に白駒)とされています。

長江最大の支流である漢江(かんこう)は漢水(かんすい)とも呼ばれ、
東西南北に通じる襄陽は漢水文化を代表する地域であり、
古代中国の内陸河川で最も栄えていた黄金水道とされ、
二千年以上も商業文明が続いたとされています。

日本では水神を疎かにすると祟りがあるとする伝承がありますが、
古代中国での水の女神との関わりは美しくも幻想的で、
水の女神の守護のもとに襄陽が発展したと認識されていました。

水の女神の姿はいかなるものであったのでしょうか。
三国志で有名な曹操の息子が残した漢水女神の記述は有名で、
リアルな表現にモデルがいるのではないかと議論されてきましたが、
それだけ麗しい女神として認識されていたようです。
次からその記述を見ていく事にしましょう。

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