平家が権力を得るまでの流れで
保元の乱は外せませんが、
鳥羽上皇の死後の皇位継承で
ゴタゴタがあった事が原因で、
崇徳天皇が負けて流罪にされ、
怨霊となったと伝承されます。
以前何も知らずに白峯神宮に
参拝に寄った事があるので、
崇徳天皇は初見でありませんが、
本を書くので京都調査のついでに
もう一度参拝に寄って来ました。
まあ一度行った事があるので、
気心知れたダチに会いに行く
軽い感覚で寄りましたが、
以前は落ち着いた感じなのに、
話題が話題なのか悲壮感漂う
雰囲気がしていました。
保元の乱の後に藤原信西が
権力を振るう事になり、
中継ぎで立てた後白河天皇が
院政を行う事になりますが、
平治の乱が起こった事で、
平家の天下となっていきます。
平家ペルシャ人説については
既に表に出てはいますが、
調べるとこれより何倍も
深い問題が存在していた事が
朧気ながら見えて来ますね。
天皇の世から武家の世に
移行する事になった流れに
崇徳天皇が関与するなら、
明治維新までの基幹に
関わる存在となります。
まあ明治天皇が白峯神社で
崇徳天皇を祀ったので、
この認識は確かでしょう。
自分でも何でここまで
日本史の研究をする羽目に
陥ったのか分かりませんが、
初めは三ヶ月程度しか
ブログを書く予定でなく、
流れは恐ろしい物です。
本代・調査費・サーバーコスト等、
思いのほか経費がかかるので
ブログの辞め時を考えていても
次々と出て来るのは何でなのか、
邪馬台国で十分と思っていたのに
やり過ぎ感はありますね。
まあ社会情勢がロマンでなく
変革の段階に入って来ており、
具体的な話が要求されてくる
御時世と言う事なのでしょうか。
源氏の何が厄介かと言えば、
今までの研究の集大成的な
全ての要素が関わる事で、
今までの山が富士山なら、
エベレスト級のキツさが
要求される事ですね。
別の言い方をするなら、
このクラスの歴史的封印が
この国に存在すると言う
厄介な話になってきます。
この呪いの重さは想像以上で、
これを解消せずに進んでも、
大した話にならない可能性が
高いのではと感じています。