大宰府と督府

菅原道真公が大宰府に左遷され、
配所に着いて作ったとされる
「不門出」という詩があります。

一従譎落就柴荊
萬死兢々跼蹐情
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無検繁
何為寸歩出門行

明治頃までは普通に漢文が用いられ
原文で理解していたようなので、
下手に訳すと味が薄れそうですが、
ここには都府と歌われていますね。

これは都督府の略とされていますが、
都督府は唐の植民地管理施設の名称で、
左遷先とされた事に疑問が生じます。

道真公は遣唐使を廃止したとされ、
唐と深く関係する都督府への
左遷が行われたとする話には、
裏がある事が察せられますね。

大宰府は歴史的に様々な事件が
勃発した場所でもありますが、
奈良時代に藤原宏嗣の乱が
起こされた事でも有名です。

彼は日本史上初の怨霊とされ、
この話に裏がある事については
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に
詳しく書き残しておきましたが、
これも唐と密接に関わっています。

道真公の怨霊伝承の裏にも、
唐との関係が存在していたと
見る事は可能でしょうか。

私はここに天神信仰の核心が
存在していると思っています。

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