太宰府と大宰府の二つの名があり、
どちらも同じ物を指しているようですが、
何故二つの名が存在するのでしょうか。
中国最古の図書館とされる天ー閣が
浙江省寧波市に存在しており、
昔の寧波は明州と呼ばれており、
日宋交易の基地として栄えたそうです。
ここに三つの石碑が存在し、
日本国太宰府博多津居住弟子丁淵捨銭十貫文砌路一丈……
日本国太宰府居住弟子張寧捨身砌路一丈……
と彫られているのが見れると言います。
これが世界最古の太宰府の記述とされ、
この石碑に彫られた乾道三年四月は、
平安時代未期の1167年を指しており、
日宋貿易で巨万の富を得た平清盛が
太政大臣になった年になります。
唐の植民地管理施設の筑紫都督府が
大宰府と呼ばれていたものであれば、
唐が滅んだ後の北九州の要衝として
機能した施設が太宰府なのでしょうか。
平家は西日本を拠点としましたが、
太宰治が日宋貿易の拠点であれば、
平家の歴史と深く関わります。
かなり後の話になってしまうので、
ここは源氏の本で掘り下げますが、
唐の植民地管理施設であった歴史を
隠蔽したかった事はほぼ確実で、
名称の変更にも関わりそうですね。