古墳時代は壬申の乱周辺で
終演してはいるのですが、
行基に纏わる人物の墓には、
古墳と伝えられるものが
複数存在しているようです。
かの道鏡の墓も古墳とされ、
メインストリートから消えても
造営が継続していたと言う事は、
壬申の乱を侵略戦争だったとする
私の説の根拠の一つに成りうる
話ではないかと思われるます。

行基と共に行動した土師氏は
出雲の古墳造営に関わったので、
出雲が侵略された延長線上に
ある話であったのでしょう。
因みに三河南朝の皇族の墓も
古墳と伝えられる物があり、
先人の墓を奪ったのでなく、
実際に古墳を作ったとすれば、
出雲祭祀を復興させた事と
通じている可能性はあります。
古墳はエジプトのピラミッドや
シュメールのジグラットに通じる
祭祀装置だったのでしょうか。
行基には出雲の影は見えませんが、
修験道の立場から伊勢の書を記し、
伊勢の語源が出雲神の伊勢津彦で
未解明の領域が存在します。
意図的に隠蔽された話であれば、
菅原家にも出雲が色濃く継承され、
道真公も古代出雲について
精通していたのかも知れません。
行基が菅原遺跡の土師氏と
関係を持っていたのであれば、
道真公はピラミッド建築の
叡知を持った一族に連なり、
秘められた領域にまで
通じていたのでしょうか。
ギゼのピラミッドやスフィンクスは、
後の時代にその威光を利用されて
王家の墓扱いされた説がありますが、
アレクサンダー大王はエジプトで
ファラオとなっていますね。
スフィンクスの顔も本来は
ジャッカルであったものを
削ったとも言われていますが、
稲荷の狛犬を連想させます。
徐福がエジプトのエドフ神殿を
東三河に持ち込んだものが
豊川稲荷であったとする説は、
既に書き終えてはいます。
ヘレニズムが流入していたなら
この周辺の説明は筋が通るので、
私の研究を前提とするか否かで
歴史解釈が大幅に変わります。
道真公がここに通じるなら、
人なのに天神とされた理由にも、
関わっている可能性があります。