外宮と天神

日本最古の天満宮とされる菅原天満宮が
奈良の菅原寺の歩いてすぐの場所にあり、
実際に参拝して来た事がありますが、
実地調査は色々と気付きがありますね。

菅原寺は行基に由来するとされますが、
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に、
この周辺を詳しく書いておいたので、
重複する記述は避けておきます

この地は菅原の里と呼ばれており、
土師氏から菅原に改姓したと
伝承されている事から考えると、
菅原寺から喜光寺に改名した話や、
行基の伝承に疑問が出ます。

桓武天皇の時代にこの地の土師氏が、
居住地の名に因んだ改姓が認められて
菅原氏となったと言われていますが、
既に菅原遺跡は記事にしましたね。

行基が晩年にこの周辺に住んだ話は
喜光寺と関係付けて語られますが、
試みの大仏殿と呼ばれる喜光寺は、
東大寺に鎮座する大日如来像でなく、
阿弥陀如来像を祀っています。

この如来は行基とは信仰の違う
大乗仏教を偽装した一神教の
神である事は本に書きました。

無量光(アミターバ)は光の宗教
ゾロアスター教に由来しており、
信じれば救われるとする信仰は
キリスト教的な気配がしますが、
釈迦の教えとは関係ありません。

菅原の里は平城京遷都よりも前から
重要な地域とされていたので、
むしろ藤原氏が後に乗っ取って、
この地を押さえたのかも知れません。

菅原天満宮には度会春彦を祀る
社が鎮座しているのですが、
度会氏は平安中期の外宮神官で、
道真公の教育係となったのみでなく、
大宰府左遷時も同伴し奉仕した
キーパーソンであったようです。

彼の存在から菅原氏が伊勢神道と
関わりを持っていた事が伺えますが、
伊勢神道と言えば鬼神を祀る
先住民族祭祀に連なっている事は、
『ええじゃないか』に書きました。

この境内に祀られる七体の牛の像は
二本の角から鬼神を意味しており、
伊勢神道や花祭に通じる深層に
天神信仰が関与していた可能性を
示唆するものなのでしょうか。

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