『北野天神縁起絵巻』には、
道真公が晩年に天拝山で
無実を訴える祭文を読上げると、
帝釈天をすぎ梵天まで上ってゆき、
天満大自在天神と尊号が書かれた
祭文が下りてきたと記されます。
『菅家御伝記』にも同様に
安楽寺創建時(905年)に、
創建者であった味酒安行は、
道真公から受けた託宣で、
天満大自在天神と号しています。
天神として有名な道真公ですが、
大自在天神から来ている様ですね。
自在天はインドを探ると
シヴァ神とガネーシャの
二系統が見受けられますが、
日本でメジャーなのは後者で、
聖天として知られています。
聖天と言えば後醍醐天皇が
修法を行った神として有名で、
この周辺は既に書きました。
天神信仰が先住民族祭祀に通じ、
志多羅神上洛事件で石清水八幡宮に
大集団を率いて乗り込んだとすれば、
この事件は更にキナ臭くなってきます。
唐の支配から独立する時期に
道真公の神輿が担がれたなら、
遥かに大事件として扱うべき
何かが隠されていそうです。
石清水八幡宮に乗り込んだ後に
何があったのかは憶測の域を
出る事はありませんが、
伊勢の神宮に先住民族の神々が
大集団で乗り込むクラスであれば、
大問題なのは間違いありません。
石清水八幡宮は京都の裏鬼門にあり、
もう一つの志多羅神上洛事件では、
京都の頭に位置する舟岡山に行きます。
現地で何が行われたのかは、
史料が残されてはいませんが、
日本の根幹を揺るがす規模の
事件であった事は確かでしょう。