『日蔵夢記(道賢上人冥途記)』に、
道真公が自らの事を三十三天において
日本太政威徳天と呼ばれている事を
伝えた話が記述されています。
鬼神の登場する奥三河の花祭は
七日七晩の大神楽が原型ですが、
『浄土入り』と呼ばれる演目で
大聖威徳天が登場しています。
大神楽で神子と呼ばれる信者達が
三途の川の先のシヤラマに入ると、
大聖威徳天と書かれた曼陀羅絵が
中に掛けられていたとされています。
シヤラマの詳細は岩戸開きの本に
詳しく書いておきましたが、
道真公と花祭の間に何かしらの
関係が存在していたのでしょうか。
花祭と言えば邪馬台国の鬼道ですが、
余りにも歴史の表に出ない領域での
関係性が多く見られますね。
天神の社が全国に広まったのは、
学問の神としての信仰だけでなく、
遥かな深層があったのでしょう。
大神楽の成立は道真公より前で、
後に取り込まれた事になるのか、
大聖威徳天の信仰が前から在り
これを道真公に対応させたのか、
研究の余地は存在するでしょう。
前から存在する信仰であったなら、
道真公は邪馬台国祭祀に通じる
人物であった可能性が高くなり、
これを復興させた仮説が浮上します。
牛と関係付けられる天神信仰は、
二本の角で鬼神祭祀の鬼道を指し、
宇多天皇の時代にこれが復興し、
後に隠蔽された仮説を検証する
必要性が出て来ますね。
花祭で榊鬼と問答する神主は
外宮の度会氏でありますが、
度会春彦と道真公の関係から、
鬼道の継承を推察する事は、
非常に容易い話でしょう。