江戸幕府の教育政策に大きな影響及ぼした
林羅山の著に道真公の伝記が複数存在します。
羅山は慶長七年(1602)に作った
「祭北野菅神文幷詩」の中で、
或時対尊意而吐哺、或時逢道賢以立誓、
文救前代之衰弊、道建後世之儒学
と儒学を確立した管公の歴史的地位を指摘し、
窃惟、我国之儒術、専託聖廟之翼任焉、
事於筆研之間、遊翰墨之場、
不可不下以仰其徳嚮其化也。
と、学問文道に従うものは、
公の遺徳を仰がぬものはないと、
天神を学問の神と崇める事を
奨励していた事が分かります。
羅山は幕府の中枢しか知らない
隠された歴史に通じる機会が
十分に存在していたのなら、
江戸の天神信仰の基底には、
隠された領域がありそうです。
江戸に天神を基盤に置いた
教育形態が存在していたなら、
かなり近年までこれが続き、
明治以降に忘られた事により
現代の教育にすげ替えられ、
大きな断絶が見えますね。
明治維新以降の日本人の飛躍が
江戸の教育の産物であったなら、
この教育の質の高さが伺えます。
世界でも希に見る識字率を誇る
江戸時代の学問水準の高さは、
二宮尊徳が西洋に二百年先駆け
信用組合を作った事などを含め、
軽く扱うべき物ではありません。
天神信仰の研究が進む事で、
この教育の質的な部分が
明瞭になって来る事により、
教育水準の向上にも繋がると
個人的に考えています。