道真公が政治手腕を発揮したのは、
宇多天皇により抜擢された事が
その根拠とされていますが、
一旦は源氏に臣籍降下した後に
復帰した唯一の天皇とされます。
清和天皇の後に天皇となった
陽成天皇が余りにも悪辣で、
光考天皇にすげ替えられらと
伝承されているのですが、
宇多天皇は光考天皇の子で、
皇位を継いだ事となっています。
この周辺の歴史については、
『日本三代実録』に記されますが、
清和・陽成・光孝の三十年を記し、
寛平五年(八九三)頃に宇多天皇が
源能有・藤原時平・菅原道真・
大蔵善行・三統理平に編纂させた
書として伝えられていますね。
編纂に道真公が関与した事に
一応されてはいるのですが、
後世に捏造された可能性は
非常に高いと思っています。
ここから先が余りにも長く、
頼朝周辺まで連なる話なので、
どこまで深入りするかですね。