道真公の政治的功績

宇多天皇の治世は理想化され、
寛平(かんぴょう)の治と
呼ばれる事になりました。

天皇は寛平三年(891)に関白であった
藤原基経が死んだ事で摂関家を排除し、
源能有(よしあり)を首班に藤原時平・
菅原道真・平季長等の近臣を重用し、
政治改革を遂行したとされています。

遣唐使廃止・造籍・私営田抑制・
滝口武者の設置等が知られますが、
国司の権限を強化する改革を行い
既得権を排除し小農民を保護し、
摂関家に敵視されるに十分な話です。

醍醐天皇に譲位し法王になった後も、
病気がちの醍醐天皇に代わって
政務を執ったという説も提唱され、
醍醐天皇周辺の話も厳しくなります。

醍醐・村上天皇の延喜・天暦の治も
ほぼ寛平の治の延長上の話であり、
どれだけ大規模な変革であったか
推察するに余りある内容です。

藤原時平が道真公の政治の記録を
抹殺した事で詳細が不明となった
研究が提示されていますが、
道真公の功績は既存の歴史より
遥に大きい物であった可能性は、
かなり高いのではと考えています。

道真公の死に関する疑問があり、
色々と調査をしてきましたが、
この周辺の歴史的功績の大きさは、
その後にも大きく繋がっていき、
平家の時代に大きな転換が
起こされたと踏んでいます。

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