宇多天皇の政治を支えた源能有は、
清和天皇の兄とされています。
生母の身分が低かった等の理由で、
臣籍降下したとされていますが、
宇多天皇も源氏でしたね。
この前から清和天皇や陽成天皇も
輔けていたとされていますが、
極悪とされた陽成天皇の治世で、
どう活動したのでしょうか。
実質的な寛平の治の担当者とされ、
翌寛平八年(896)には院宮王臣家の
土地の不法拡大を禁じる太政官符等の
農民保護政策を出したとされます。
この翌年に病で死んだとされますが、
何かと怪しい感じがしますね。
能有の娘・源柄子は貞純親王の妻となり
源経基を生んだとされていますが、
経基こそ頼朝に繋がる清和源氏の源流で、
恐ろしい程の歴史の繋がりを感じます。
この清和源氏は陽成源氏ではないかと
学会で話題になった事がありますが、
この周辺にはかなりの謎があります。
宇多天皇の命で『三代実録』の編纂に
道真公と共に携わったとされますが、
道真公と同じく完成前に死んだとされ、
何かしら通じる物を感じさせます。
私は『三代実録』は後世の捏造で、
この周辺の天皇の系譜の書き換えが
行われたと考えているのですが、
源氏の本に書くかも知れません。
陽成天皇周辺を探って行く事で、
日本史を大きく覆す話が数多く
出て来る事になってきますが、
頼朝にまで通じる源氏の流れが
ここから出ているのが問題ですね。