醍醐寺とヘレニズム

醍醐寺は醍醐天皇・穏子皇后の帰依の元、
上醍醐に薬師堂を建て薬師三尊を奉安し、
鎮護国家のために五大堂を建立して、
五大明王を奉られたと伝えられます。

 薬師如来が徐福に由来する事は、
三遠式銅鐸の本等に書きましたが、
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に
薬師三尊と法隆寺の関係について
既に色々と書いておきました。

この段階では密教と言えば、
空海・最澄の持ち込んだ
大日如来への信仰がメインで、
薬師如来がなぜ用いられたか
不明瞭な部分がありますね。

法隆寺と言えばパルテノン神殿の
エンタシス構造の柱で有名ですが、
徐福が持ち込んだヘレニズムで
世界中の神々が習合した仏教を
醍醐天皇が崇敬していたなら、
道真公との関係も見直し必須です。

薬師如来がヴァルナであり、
王権に関わる神であった事は
既に本に書いておきましたが、
この時代に広まった天神信仰を
徐福に通じる鬼道の復興とする
私の説の補強になりえます。

道真公左遷の罪で地獄に落た
醍醐天皇の伝承が捏造なら、
大宰府左遷周辺の見直しも
必要となっては来ますが、
ここには恐ろしい程の深淵が
横たわっていそうです。

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