神社と寺

地元の神社で出会った人に
地域の歴史の話をすると、
認識のギャップに驚きます。

聖徳太子の時代に神社と寺を
建てた人物の伝承が残され、
神道と仏教だから間違いだと
伝承の否定があったりします。

ただその寺院の境内を見ると
役小角の像が祀られており、
神仏習合の修験道であれば、
矛盾はない事になりますね。

ではなぜ別系統の信仰施設を
造ったのかと問われれば、
別なのかも分からない物も
存在していたりします。

豊川稲荷や三明寺に行くと
寺院なのに鳥居があって、
境内には社も祀られており、
三遠は不思議な物が多いです。

寺=仏教とされるのは間違いで、
政祭一致の行政機関である寺で
僧侶が仏教を教えた事から
両者がリンクしたそうですが、
アショーカ王の仏教でしょう。

となると寺院は信仰のみでなく、
行政機構としても機能していた
可能性が浮上してきますね。

奈良には行基に関わる寺院が
存在していたりしますが、
平安時代に南都仏教の腐敗から
脱却しようとしたと言う話は、
行政機関でもある寺の姿の
隠蔽とも関わっていそうです。

詩は言に寺と書きますが、
寺で用いられた言葉なら、
人に対してだけでなく
神々に対しても用いられる
祝詞等にも通じています。

農業の詩にも神々や祖霊が
登場している事を考えると、
ヤマトの寺でもこの類いの
活動がなされていた線は、
相応に濃いのでしょう。

集団で農作業をする時は
音頭を取る必要があり、
祭祀で詩を詠んでから
作業を始める光景は、
美しさを感じさせます。

言霊の幸う国とされる
豊芦原の瑞穂の国ですが、
神道vs仏教の観点から
その真相に辿り着くのは、
厳しそうな感じがします。

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