渤海の滅亡とアジア再編

道真公が遣唐使を廃止した話は
良く知られた話ではありますが、
907年に唐帝国が崩壊した事により、
東アジア情勢は格段に悪化します。

中国は大動乱期に突入してしまい、
朝鲜半島も新羅が衰え三国に分裂、
935年に再統一する事によって、
高麗国が樹立されたと伝えられます。

この状況に北方の騎馬民族で
モンゴルから西北満州にいた
契丹族が急速に勢力を拡大し、
渤海にも進攻を行います。

朝鮮の史書『高麗史』に、
渤海の滅亡前の925年に、
王族や文武の顕官の多くが
高麗王朝に亡命して来たと
記された状況にありました。

渤海の王室は内部紛争が続き、
王は脆弱で貴族も贅沢に溺れ、
契丹軍が国境に迫った時も
王と王弟の争いは激しさを増し、
強大な渤海軍は簡単に負けます。

渤海は三渤海当一虎と呼ばれた
強兵を保持していながら、
内紛のために戦わずして負けた
恥ずかしい状態について、
同族の朝廷に嫌悪された事は
想像に難くありません。

しかしそれより大きな問題は、
契丹がアジアに覇を唱えた
大帝国にのし上がった事と、
日本が全く関係がなかったと
伝えられて来ている事です。

道真公の真の謎はここに関わり、
アジアの再編成の流れの中の
壮大な動きとリンクしたが故に、
隠蔽がなされたと考えています。

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