中国と高句麗

六世紀末に中国統一を達成した隋帝国は、
北辺の驚異に対抗するために遠征軍を送り、
そのために疲弊して滅亡を招いています。

隋の後に興った唐も高句麗を宿敵として
遠征軍を再三に渡り送り続けるも敗北し、
高句麗が唐との戦に消耗している間に
新羅は百済を滅ぼし朝鮮半島南部を統一、
高句麗の驚異として成長していきます。

新羅は唐と協力する事により
高句麗を挟み撃ちにして滅ぼし、
統一新羅が始まったとされています。

壬申の乱は高句麗滅亡の後であり、
半島から大量に流れ込んできた時期に
内乱が起こったとされるのであれば
百済勢力の関与も考慮に入れる
必要が出ては来るのでしょう。

何だかんだと高句麗は好戦的で、
他からは好かれていなかったのが
様々な記述から感じられますが、
何故か仏教国でもありました。

好戦的な仏教国とは矛盾していますが、
高句麗僧が聖徳太子の師とされるので、
一神教の影響を受けた大乗仏教であり、
馬小屋で生まれた聖徳太子のモチーフが
イエスキリストとされているように、
ユダヤ教の影響が色濃そうですね。

四天王の一柱である多聞天は
侵略者に信仰されていますが、
多くの話を聞く聖徳太子は、
ゾロアスター教のミトラが
モデルとなったのでしょう。

ソグド人や武則天は三つの一神教を
信仰していた事は有名なのですが、
日本史との関係への掘り下げは、
まだまだ弱い状況にあります。

旧約聖書を読むと神の名の元に
異民族への侵略や虐殺が正当化され、
排他的に他の信仰を潰しますが、
謀略で搾取する傾向が強いのか、
ソグド人は金融で栄えていました。

法華経には弱者視点があると思えば、
かなり過激な事も言及しており、
自分のところが絶対とするのは、
一神教の影響があるかも知れません。

契丹が高句麗の後を継ぐ渤海を
宿敵として捉えていた事は、
この周辺の歴代に根が存在し、
危険な勢力としての認識があり
滅ぼしにかかったのでしょうか。

高句麗と密接に繋がった百済系が、
周辺の歴代で都合の悪い話を
隠蔽した可能性は高いでしょう。

菅原道真公が怨霊とされた背景に、
この周辺の歴代が関わっているなら、
かなりの闇が存在する事になります。

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