半島に存在した高句麗と百済は、
北方から来た夫余系の天孫族の
王朝とされているのですが、
新羅はより古くから存在したと
認識されているようです。
581年に分裂と混乱の続く中国は、
非漢族系の鮮卑人王朝である
隋帝国により統一されたとされ、
この北方騎馬民族の王朝が、
高句麗にも遠征を仕掛けます。
612年に周辺諸国を制圧した隋は、
帝国の最後の軍事事業として、
高句麗遠征戦を発動します。
200万もの大規模な軍団を、
遼東半島まで進軍させるものの、
遼河の防衛線で主力が阻止され、
鴨綠江を渡河した30万5000人は
包囲、殲滅されて死亡し、
生還者は2700人とされます。
高句麗戦の敗北により隋帝国は崩壊、
隋末の混乱を収め中国を統一したのが
非漢族系で鮮卑人軍閥あがりの
李氏による唐帝国とされており、
隋と同じ北方騎馬民族であった上に
高句麗遠征軍を仕掛けています。
唐は高句麗を滅ぼせなかったものの、
高句麗の末裔であった渤海国を、
北方騎馬民族の契丹が滅ぼしており、
深い因縁が見え隠れしていますね。