日本における契丹の認識

歴史の授業で渤海や契丹について
詳しく学んだ記憶はありませんが、
歴史的な影響力の大きさの割に
扱いが希少過ぎるのは問題です。

日本で契丹はマイナーであるものの、
展示会等も開かれてはいるので、
認知が全く無いとまでは言えせん。

https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s25.html

残された文化財から文化水準の
高さを伺う事は可能でしょう。

契丹には七重八角の仏塔なども
存在している事から分かるように、
仏教にも造形の深い国家であり、
日本でもこれに通じる建築物を
某天皇が造っていますね。

ここで明言をしていないのは、
本当にその天皇が造ったのか
定かではない所があるからで、
源氏の謎にも関わっているので
別の機会での話になります。

契丹の滅亡とアジアの再編成は
後の時代になってしまうので、
源氏周辺に話を譲りますが、
日本と交流が無かったとされる
契丹との長期的関係性について、
見直すべき所が存在しています。

契丹が日本とどのような関係を
構築していたのかの研究が、
このブログを発端として
流れが出て来る事を期待して
色々と書執筆してはいます。

この周辺はかなり問題があり、
簡単には扱う事が出来ないので、
少しづつ出していきます。

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