最初の華夷帝国

契丹はJ・K・フェアバンクスによって、
中国大陸築かれたに最初の華夷帝国である
ザ・ファースト・シノ・フォーリン・エンパイア
と命名された大帝国と認識されているのに、
日本で殆ど知られていないのは何故でしょう。

日本の歴代と言うと中国や半島の
数ヵ国とだけ交流があったような
イメージが持たれてはいますが、
東北方面は満州から北側の
ロシア方面と交易する方が楽で、
野蛮人の地とされたからか、
記録は全く残されてはいません。

南朝が東北に北畠親房を送ったのは、
東北の交易が戦略上重要とされていた
時代的な認識があったからの様ですが、
半島と交易していたのでしょうか。

東北方面において契丹との
密接な交易が存在したなら、
野蛮人の地とされる東北が、
優れた地となりかねません。

シュメール文明ですら海洋交通は
優れた水準であったとされており、
普通に日本にまで来ていたとしても
全く問題のない技術があった事は、
既に研究がなされていますね。

安曇族も海洋民族とされていますが、
アジア圏のみを対象としていたかは、
断定しえない状況にあります。

日本書紀で構築された歴史観は、
諸外国との交流のデータが
提示される事で崩れかねない
非常に危ういものであり、
契丹がこの歴史観を崩壊させうる
存在であったとすればどうでしょう。

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