橘逸勢と宗教問題

私の一連の著作は宗教勧誘と
関係ない所でやっていますが、
ヘレニズムの復興が主眼なので、
一宗教に限定されてはいません。

問題のある宗教への勧誘は
責任問題に発展しかねず、
学術的に進めてはいますが、
各人の信仰と違う事から、
色々と言われる事もあります。

酷い時にはアポを取って
話をする時についてきた
某宗教団体の関係者が、
何度も話を遮って勧誘し、
迷惑だった事があります。

言われた事に全て答えて
問題点を明確にすると、
帰りにどちらが正しいか
証明してやると怨み事を
言われてしまいました。

神の話をしたいなら、
アポを取ってからなら
まだ良いのですが、
人として微妙ならば
神以前の話ですね。

敵意を向けるだけでなく、
信者に会わせないように
裏工作をされていたり、
完全に間違いが分かっても
隠される事もあります。

禅の世界では魔境と言って、
浅いトランス状態に陥り
神紛いとコンタクトして
一見それらしい事を聞き、
ミスリードされる危険が
指摘されていますね。

自分を特別な人と思いたい
欲に漬け込まれるリスクは、
支配欲などにも繋がるので、
かなり厄介な部類でしょう。

神から聞いたメッセージを
査定するサニワと呼ばれる
学問が存在するそうですが、
歴史を見ると具体事例を
知る事が可能となります。

神を語る事の危険性も
十分認識した上でないと、
下手に宗教と関わる事は
危険極まりないでしょう

特に近代日本は酷い有り様で、
宗教や政治の話がタブーになる
面倒な背景が存在しています。

表に出すまでもない研究と
思っていた内容がありますが、
この周辺にまで踏み込まないと
問題がありそうな気もします。

歴史は鏡と言われますが、
正しく宗教に纏わる歴史を
認識する事で分かる事は、
かなりの領域に及びます。

ただ既存の歴史は捏造され
歪んだ鏡の状態にあるので、
ここを明確にする研究を
提示する必要性があるか、
微妙な所ではありますね。

私の岩戸開きや行基の本を
読んだ方は分かりそうですが、
まだ出していない領域もあり、
この状態だと色々と言われる
可能性も残ってはいそうです。

二系統の岩戸開き神話が
存在する事は書きましたが、
これすら知らないのに
色々と語られるとなると、
説明が非常に大変です。

読まずに色々と言われると
時間の無駄になるので、
書くための時間と労力が
足蹴にされる事になり、
非常に失礼な話になります。

学術的に進めたいのなら
データと根拠は必須ですが、
神の話は地に足がつかず、
まずは孔子の言った様に
人の事の方が重要ですね。

橘逸勢についての研究は
宗教問題に深く関わり、
現代にまで通じる問題が
闇に隠れた状態にあります。

ただここまで書くまでの
必要性があるかどうかは
不明瞭な部分が多くあり、
敢えて書くまでもないと
思いたい所でもあります。

内容が内容だけに無料記事で
出して良い話ばかりかも
微妙な所がありそうですが、
一度は逸勢神社に参拝し、
相談した方が良さそうです。

出すとしても線引きが難しく、
色々な領域に関わるので、
余りに面倒なら他にやる事が
腐る程ある状態である上は、
有益に時間を使いたい所です。

これだと逃げに思われかねず、
メルマガ読者に企画を出して、
直接聞きたい人に実地も含め
伝えてはいるのですが、
労力がかかる話になります。

こう言う話は面倒なので
他の事をしたいのですが、
現状を相対化して見るには
歴史を知る事が有効なので、
中々に迷うところです。

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