宮崎市貞氏は『アジア史概説』で、
中国周辺の異民族によって、
中国文明の長所・短所を比較検討し、
適切に批判し自己の長所を自覚した
最初の事例を契丹としています。
これが東アジア近世史的発展の始まりと
位置付けられている事から考えると、
日本がこの影響を全く受けずに来たと
考えるのには無理がありそうです。
実際に日本国内の歴代を見てみると、
志多羅神上洛事件後に鎌倉幕府が樹立し
大規模な変革がなされていますが、
鎌倉幕府は契丹への最後の朝貢の
1092年より100年程後の話です。
鎌倉幕府成立の前には平家が栄え、
朝廷が主体となった運営から
離れたものとなっていますが、
国内の政変を単独で見るのでなく、
アジア情勢まで視野に入れると、
別の解釈となるのはほぼ確実でしょう。
しかし、この時代の日本は鎖国状態で、
アジアとの関係が無かったとされます。
しかし、その根拠は非情に弱く、
アジアの歴史を総合的に見る事で、
覆る可能性が高いと思っています。