朝廷は契丹と国交を持たなかったと
一般的には認知されているのですが、
海外の情報が遮断させられていて、
民衆は無知な状況だったのでしょうか。
契丹についての認識が庶民にあった事は、
平将門が契丹建国を例に出した話が
残されている事を考慮に入れると、
契丹が世界帝国になった事が民衆に
知られていた事は確かな話でしょう。
同時期に西日本で藤原純友が乱を起こし
大規模な戦いを繰り広げていますが、
彼についての詳細な痕跡は驚くほど少なく、
契丹と日本の関係を元に見直す事で、
新たな視点が得られるかも知れません。
この流れにある志多羅神上洛事件や
鎌倉幕府の成立にいたる過程など、
全てにおいて契丹の影響を視野に入れ、
解釈し直す必要はないでしょうか。
この時代の日本が鎖国状態に無く、
アジア情勢の再編成の流れの中で
国内に様々な動きがあったのであれば、
アメリカ追随が終わりを迎える現状に、
教訓となるものがあるかも知れません。