和歌と経営

儒教経典の『詩経』の翻訳は
非常に難しいものがあり、
音楽と合わせて謡われたなら、
歌としての響きを取るか、
内容を取るかでも変わります。

特に日本語と韓国語以外は、
共通の文法が用いられており、
文法の違う言語の翻訳には、
多大な労力を支払います。

日本語の歌詞を英訳するのも
細かい事を言うとキリがなく、
両方に精通した上で感性のある
翻訳が出来る人はまれですね。

中には神クラスの英訳も
存在してはいるのですが、
このレベルを全ての詩に
適応させるのは不可能です。

【 YOASOBI – Idol (「アイドル」English Ver. ) 】どう考えても日本語に聞こえるwww「推しの子(OP)」

政祭一致の行政機関である
寺で僧侶が仏教を教えた事が
寺と仏教が結びついたとされ、
寺で用いられた言葉が詩なら、
神々にも用いられた事になります。

日本でも詩経は学ばれましたが、
あくまで中国語での技法なので、
そのまま国内で用いられたかは
難しい所がありそうですね。

南朝では和歌が重視されており、
万葉集も浜松市と深く関係する
痕跡が残されている事を考えると、
この国では詩ではなく和歌により
政治の現場での話しが進められ、
心に訴えかけてられたのでしょう。

『春秋左氏伝』には政治の現場で
詩を引用して説得にあたる事例が
数多く書き残されていますが、
現代の政治で美しい言葉により
国を経営する思想はありませんね。

菅原道真公も幼少の頃から
和歌を作った伝承がありますが、
これらの研究が進む事により
経営者間で和歌が流行ったら、
経済も面白い事になりそうです。

会社や学校での朝礼も
朝の儀礼が本来であれば、
ラリホーマを唱えられたり
心を動かさない言葉では、
儀礼の価値が無くなります。

経典に見られる質の高い詩に
数多く目を通している人は、
目が肥えていき質の高低を
見極めるのは容易そうです。

詩でその人の政治的力量が
他人に量られるとすれば、
ある意味恐ろしい世界です。

詩も極めると天地の神々を
動かす物とされているので、
言葉を磨く事を上に立つ者の
必須課題としても良さそうです。

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