『契丹古伝』は942年に編纂された
遼(契丹)王家の史書とされますが、
1905年に中国吉林省で発見されるまで
長期にわたって王家の人々により
守られてきたとされとされています。
この書の重要な意義を挙げるとすれば、
漢民族の検閲から逃れた書として、
中国や半島の記述から離れた内容を
見る事が出来る事にあるでしょう。
契丹はモンゴルから中国東北地方と
華北の一部にまたがる地域を支配し、
宋かから燕雲十六州を奪うなど、
漢民族と対抗してきた事が分かります。
建国して間もない遼の王家が
自らの歴史的背景と正統性を明確にし、
漢民族の支配に抵抗するための
周辺民族の団結と鼓舞が目的とされ、
多少のバイアスがある可能性は
差し引いて考える必要がありますね。
重箱の隅をつついて全否定する前に、
歴史の流れの中での位置付けも、
検討しておく必要がありそうです。
現代でも国内のメディアだけでなく、
諸外国のメディアを比較する事によって
国内事情を多面的に考える事が出来ますが、
偏ったデータを入れると偏った答えを
吐き出しかねないのは統計学の教訓です。
この書は菅原道真の怨霊に悩まされ、
志多羅神上洛事件以降の流れに繋がる
当日の情勢を解釈するためのヒントを
多分に与えてくれるでしょう。