『契丹古伝』と邪馬台国

『契丹古伝』に引用される古文献には

『耶摩駘記(やまたいき)』
『氏質都札(ししつさつ)』
『汗美須(かみすち)』
『西征頌疏(さいせいしょうそ)』
『秘府録(ふひろく)』
『神統志(しんとうし)』
『賁弥国氏洲鑑(ひみこくししゅうかん)』
『辰殷大記(しんいんたいき)』
『洲鮮記(しゅうせんき)』

の九つとされているようですが、
浜名氏はこの「耶摩駘記」を、
『契丹古伝』に引用した古伝旧記で
最も新しい物だろうとしたそうです。

『耶摩駘記』の塢須弗(ウスボス)のみ
著作が判明しているとされており、
かつての同族であるヤマトについて
記された書とされています。

ウスボスは宝亀四年(773)に能登に漂着した
渤海国使の烏須勃とは言われていますが、
渤海が日本の先住民族王朝である
邪馬台国の歴史書を記したとされるのは、
どの様な背景の元に行われたのでしょう。

この書が渤海国に存在したのであれば、
その前身である高句麗はヤマトの歴史を
知っていた上で隠蔽していた事になり、
好太王の碑文に記された倭国や半島の
歴史の内容すら信憑性が疑われます。

かつての同族とされたヤマトの国は
高句麗や日本の朝廷とは別の勢力であり、
この解釈は様々な仮説が立てられそうです。

この時代のアジアの記述は極端に少なく、
ソースの信憑性が揺らげば既存の説が
土台から崩れかねない所がありますね。

「耶摩駘記」は他の歴史書と共通する
記述が複数存在してはいるものの、
全てが正しい情報かは分かりません。

「耶摩駘記」が本来の歴史書をベースに
核心を隠すために書かれた可能性も
無いとは言えない所ではあるので、
どこまでいっても100%と言えないのが
歴史研究ではあるのでしょう。

契丹のビジョンは東大神族の治世の復興で、
これをベースにアジアの再編成を行う事を
日本の朝廷に伝えに来たと仮定すると、
先住民族を蝦夷(野蛮人)として侵略し、
支配した側朝廷とは反りが合いません。

大宰府に左遷された道真公が人なのに
天神として全国に祀られた背景には、
契丹との関係の模索期に排除された
邪馬台国の復興を目論む気運と
関係している可能性は高そうです。

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