契丹とその歴史・文化の研究は、
極めて限定されたかたちで、
独特の歩みを辿って来ています。
原典史料となる文献史料が皆無で、
中国の正史とされる『遼史』の中の
僅かな記述が基盤となっています。
全一一六巻を誇る『遼史』ですが、
一巻毎の分量は少ないだけでなく、
中途半端な記述が多く存在し、
まともな学術検証が出来ません。
『遼史』以外の史料の大部分は
北宋側の記録に頼る形となり、
『契丹国志』を除外すれば、
両国の戦争の関連の記事や、
両者が共存関係となって以降の
ごく僅かな記述に止まります。
契丹の皇帝陵から発現した
哀冊(あいさく)をはじめ、
王陵・墓葬からの墓誌銘や
各種の碑刻なども数が少なく、
ほぼ分からないが正解です。
古の大帝国である契丹の
歴史を知る事が難しいのは、
何らかの作為をもって、
記録の抹消が行われたか、
改竄された可能性が高いと
邪推したくなりますね。