契丹への最後の朝献

日本が契丹に最後の朝貢をしたとされる
1092年の国内情勢を見てみましょう。

後三条天皇の後を継いだ白河天皇が
院政を始めたのが1086年とされ、
この頃に熊野三山が成立します。

南朝のところで熊野については
散々書いてきてはいますが、
何かとリンクして来きますね。

後三条天皇までは優遇された源氏が
白川天皇により冷遇され始めた事は、
契丹滅亡との繋がりを感じさせます。

色々なところに繋がりがあるので、
段階的に進めないと難しいのが、
この国の歴代の研究ではあります。

1091年に朝貢が開始されるまでに
165年近く空いていると仮定すれば、
この周辺がアジア情勢と関係する事を
研究するに十分な理由となります。

院政で藤原氏の力を政界から排除して
皇室が力を取り戻した時期とされますが、
アジア情勢の変動との関係を見ないと、
この流れを理解するのに十分ではなく、
取りこぼしが出る可能性がありそうです。

歴史の隠蔽工作にまで言及すると、
道真公の時代より更に後にまで
話を進める必要が出て来ますが、
ここまで行くと源氏の話になり、
源氏の本に譲る事になりますね。

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