漢字以前の契丹古伝

契丹古伝は漢字で記されていますが、
当日は契丹文字が成立していました。

契丹に滅ぼされた渤海は東丹国とされ、
渤海も含めた広域な旧史書を引用して
成立したのが契丹古伝とされています。

渤海で漢字が用いられていた事から
漢字で書く事になったのか、
公用語として漢字を用いたか、
詳しい事は良く分かりません。

契丹古伝は契丹側の書物に見えて
渤海的な要素が数多く見受けられ、
後の時代に渤海の末裔によって、
書き換えられた可能性もあります。

契丹語の契丹古伝が存在した可能性も
無いとは言い切れないと思いますが、
この古伝もたまたま表に出てきた程度で、
埋もれた優れた書物は腐る程あります。

万が一にも契丹語の原文が発見されたら、
契丹古伝と違う内容である可能性も
0とは言い切れない所が難しい所です。

契丹が交流のある様々な国の言語で
契丹古伝が翻訳されていたとしても、
アジアはおろか中近東や白人文化でも、
この書は鬼門とされ抹消されたでしょう。

歴史的に焚書が行われた痕跡は
数多く存在しているので、
契丹もアレクサンドリア同様に
大量の文献が焼かれていても、
全く不思議はないでしょう。

行基の本を読んで頂ければ、
広域なアレクサンドリアの
大図書館の本を燃やしたのが、
一神教勢力であった事について
理解が出来る事と思います。

現代の一神教をベースとした
国際情勢の中において、
ヘレニズムの真相の封印は、
絶対条件であった事でしょう。

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