『契丹古伝』後半(第二十一章以降)は
「歴史編」に分類されていますが、
西から東大神族に対する侵略があり、
中華思想が形成されていく経緯が
記されている部分となっています。
二十一章はこう記されています。
賁彌國氏洲鑑(ヒミコクシュウカン)の
「賛」にいうのには、
海漠象変して(海が砂漠に変わり)地西に縮まり、
及后稜(ノコロ)海となって天が東に遠ざかった。
また、洚火の災(大洪水と噴火か)を経て
西方から諸民族が進入し、
牛首を神とする者、蛇身を鬼とする者らが、
神族であると詐称し、
伏羲氏・神農氏・黄帝、少昊、陶(唐)尭・虞舜は、
みずから聖人と称した。
だが、思いがけないことだが、
尭と舜とは大東神族の翅報(シフ・君霊)なのだ。
混血族としての漢族の君主は夏の禹がはじまりである。
とはいうものの禹は沄(ウ・大)を、
夏は繾(ク・國)をさしているのである。
ここで賛と言う人物が登場しますが、
倭の五王にも賛が見受けられます。
倭の五王の武がヤマトタケルであり
雄略天皇であったとする私の説は、
『平将門の深層』に書いてあります。
邪馬台国がヤマトである説は、
既に記事にしてありますが、
王が殺されたので卑弥呼を立て、
乱れた国を五王が統治した説は、
『平将門の深層』に書きました。
オノコロ島は古事記に出て来ますが、
牛や蛇の信仰は鬼神崇拝に通じるので、
文献成立の背景にまで立ち入らないと、
解釈が難しい所が出て来ます。
この記述の信憑性がどの程度かは
私には何とも言えない部分ですが、
倭国と敵対していた高句麗の末裔の
渤海王室の書物がベースとされるなら、
案外と東丹国側に見せかけておいて、
重要な部分にフェイクがありそうです。
徐福渡来伝承は『契丹古伝』になく、
倭の五王は徐福渡来から卑弥呼を経て、
半島まで統治していった時代なので、
倭の五王も東大神族の復興のために
活動したと言いたいのでしょうか。
堯と舜は儒教において重視される聖人で、
儒教では口先だけの善人ではなく、
政治で優れた功績を上げなければ、
官僚のための学問としては不足なので、
研究対象として挙げられています。
聖人君主とは神に通じる為政者で
現代的な意味合いとは違いますが、
孔子やプラトンが魂を磨く事が
政治の要としている背景には、
古代世界の復興が関わっています。
白人以外に権利を認めない文明が
近代日本にも影響していますが、
自然界の中で特権階級の様に
身勝手に振る舞っているのが
現代文明の愚かな姿ですね。
自然界ともコンタクトを取る
必要性が認識されていたなら、
修行が必須とされたのでしょう。
ここと倭が通じていたとしますが、
蛇や牛(鬼)が悪者ではないのが、
縄文信仰の重要な特徴でもあります。
どちらかと言うとユダヤ教において、
赤い牡牛や蛇が悪者にされているので、
契丹の歴史は一神教徒による改竄が
行われた可能性が高そうです。
高句麗も渤海も一神教の流れを汲み、
現国際情勢もその流れにあるなら、
ヘレニズムと一神教の相克は、
歴史の基底に流れていそうですね。