歴史と鏡

歴史は現代を鑑みるための
鏡と言われていますが、
色々と執筆していると、
本当であると実感します。

農耕祭祀を調べる事で
近代農業の問題が分かり、
土師氏を調べる事で、
ゼネコンや国土開発の
問題点が見えてきます。

基本的に近代における
これらへの問題提示は、
意識してはいなくとも
西洋文明の基盤の上で
語られている部分が
余りにも多くあります。

歪んだ鏡を用いていたら、
正しく状況を映せないのは
当然の理となります。

道真公の歴史を調べる事で、
明治維新以降の政治にも
新たな観点からの見直しが
可能となって来そうですが、
実際にはまだまだ弱く、
概略に止まっていますね。

政治に絞って書いても
結構な分量となりますが、
後世に高く評価をされた
延喜・天暦の治にも、
道真公は関わっています。

私が何でも書くよりも、
研究の流れが出た方が
各々の分野の見直しに
有益な研究が出る事は、
間違い無い話でしょう。

私がやっても良いですが、
他に書く事が余りにも多く、
体が一つでは足りません。

私がアレクサンドリアの
大図書館について話すのも、
高度な研究の基盤がないと、
今後のこの国の行く末に
懸念があるからですね。

世界情勢の情報を収集して
今後の動向を予想しても、
対応の基盤が弱ければ、
大した事は出来ません。

今後アメリカの傘下から
解放されたとしても、
自立して何を成すかは
疑問のある所です。

情報鎖国の現代日本では、
優れた知識を持っていると
自負していたとしても、
バイアスがかかっている
危険性は高いでしょう。

スピリチュアルではない
純粋な歴史研究からでも、
私のような研究成果が
提示出来るのであれば、
正しく事実は小説よりも
奇なりと言った所です。

ただ奇をてらった研究を
している訳でもなく、
基礎を確りと行う事で、
得られている物です。

たまに神業クラスの成果が
出てくる事があるとしても、
基礎がなければ無意味な話で
追い求める物でもありません。

時代の転換期に何をするかは
全体に大きな影響を及ぼし、
小手先で通すのは頂けません。

私の研究を提示する事で、
基幹からの見直しの流れが
出て来る事を望みますが、
既にバトンは渡したので、
各人が問われる所ですね。

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