証明と話題性

地元の歴史の研究をしていると、
様々な人と話す機会があります。

昔話題になったペトログリフの
研究者と話した事がありますが、
どこどこに凄い物があっても、
言うと研究者が沢山来るから、
黙っているとの事でした。

東三河を研究している人でも
表に出ていない事があるので、
私一人が研究している訳では
無かったりしますね。

研究の詳細は違っていても、
大勢の説に目を通す事で、
自分で考える力がつきます。

歴史を100%証明する事は、
昨日の自分の行動を聞かれて
100%証明するのが難しい様に
厳しい所があるのですが、
大勢が関心を持つ事による
研究の流れは大きいです。

知人が新聞記者と話をした所、
記事を書いても証拠がないと
誰も信じないと言われたそうで、
何かと疑問符のつく話です。

具体的に誰が信じなかったか
明確に出来る話ではなく、
私の研究の信憑性を高いと
考える人も多くいます。

浮気を問い詰められた時の
常套文句が証拠はあるかで、
こう言う人の方が積極的に
コメントしそうですね。

ネットも含めたメディアは
サイレントマジョリティーが
数多く存在するのは当然で、
一部の声で全てを判断すると、
責任問題に発展しかねません。

特に豊橋は古墳の密集地で、
初期の前方後方墳が存在し、
卑弥呼の頃から古墳時代が
始まった事を考えると、
これだけでも情報を提供して
研究を進めないと無責任です。

古墳の密集地である事すらも
知らない人が多い状況にあり、
知る権利を一方的な理由で
棄損してはいけませんね。

警察の聴取で一番簡単なのは
理詰めの男性とされていますが、
一番面倒なのが感情的な女性と、
含蓄の深い話があるそうです。

これで行くと日本の歴史も、
文献で嘘が書かれている事は
バレる可能性が高いと言う
話になって来ますね。

むしろ縄文になってくると
文献もデータも少なく、
中々に難しい所があります。

ただ三遠に関して言うと、
古墳や銅鐸などの遺物が
数多く発見されているので、
データに関してそこそこは
確保されている状態です。

私が一人で研究を進めるより
大勢に関心を持って貰う方が、
大枠としての進みの良い
状況にあるのであれば、
証明より話題性の問題です。

むしろ歴史が不明瞭であっても
話題で観光地化している所が
存在しているのであれば、
遺物が相応にあるのであれば、
後はどう盛り上げるかですね。

飽海遺跡が重要な聖地な事は
豊川稲荷の本に書きましたが、
アリーナ建設による悪影響は
地方クラスで無い可能性が
非常に高いのが問題です。

プロモーションも含めて
全て私一人に押し付け
見ているだけではダメで、
個々人の責任も関わります。

私も知った責任があるので
色々とやってはいますが、
知った人は全員責任が
伴う話になって来ます。

分かっていても動かないで
価値が棄損されたのなら、
戦犯クラスの話です。

私程度でもこの程度は
実行しているので、
これ以上に出来る人は
数多くいるはずです。

これが先祖達からの
試練であったとすれば、
自己採点で合格点を
出せているでしょうか。

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