雄略天皇はヤマトタケルか1

平将門の深層には詳しく書いておいたのですが、
北関東は日本でも有数の古墳の密集地とされています。

鉄剣の銘文には「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時」と記され、
埋葬者を囲む様に鏡・勾玉・剣の三種の神器も発見されています。

北関東で有名なものに巨大な前方後円墳の稲荷山古墳があり、
ここから発掘された鉄剣に銘文が記されていた事で有名です。
稲荷山古墳はさきたま古墳郡の中にあり、
さきたまが埼玉の語源になったとされています。

獲加多支鹵大王はワカタケル大王と読み、
大泊瀬若武尊の異名を持つ雄略天皇とするのが一般的です。

古代中国では寺は政祭一致の行政機関を意味していて、
インドから来た僧侶が寺で教えを説いたので、
寺に仏教のイメージがついたようです。

獲加多支鹵大王寺とはワカタケルの行政機構の事なのか、
この「斯鬼(シキ)宮」は一般的には、
雄略天皇の「長谷朝倉宮」に比定されています。

北関東が古墳の密集地とされていますが、
古墳時代は邪馬台国の卑弥呼の頃から始まり、
それ以前は徐福の持ち込んだ銅鐸の時代が
前半後半あわせて四百年近く続いていたようです。

東三河も古墳の密集地であり、
ここから関東に古墳が伝播した痕跡があるようです。
とすると長谷朝倉宮の本拠地は東三河にあり、
朝倉川河口にある飽海神戸神明社があった地に
朝倉宮が存在していたのでしょうか。

鉄剣銘に記された斯鬼宮に鬼が記されるのは、
行政機関で鬼の祭祀を行っていたからであり、
花祭の前身である卑弥呼の鬼道が行われていたのが
雄略天皇の国家祭祀であったとすれば、
三遠の古代王朝は北関東から九州に至る広域を
統治していた可能性があるのではないでしょうか。

三遠には鬼の登場する祭が幾つか残されており、
遠州のひよんどり、石巻神社の鬼、奥三河の花祭をはじめ、
蓬莱寺山にも鬼の登場する祭が残っていたようです。

鉄剣銘に記された斯鬼宮に鬼が記されるのは、
行政機関で鬼の祭祀を行っていたからであり、
花祭の前身である卑弥呼の鬼道が行われていたのが
雄略天皇の国家祭祀であったとすれば、
三遠の古代王朝は北関東から九州に至る広域を
統治していた可能性があるのではないでしょうか。

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