遣唐使による仏教修行には、
大きな傾向の変化が存在します。
武即天の影響を排した玄宗の時代、
日本からの遣唐使は道教を学ばず、
仏教にしか関心を示さなかった事に、
皇帝が難色を示したとされます。
玄宗皇帝が仏教を嫌ったかと言えば
密教を保護した事が知られており、
空海はこの密教を学びに渡唐し、
仏教そのものを嫌っていた訳では
無かった事になりますね。
この時代に鑑真が来日しますが、
鑑真は大曇寺で修行しており、
大曇寺は則天武后が建立した
マニ教寺院とされています。
武則天の保護した大乗仏教は
アショーカ王の仏教を名指し、
自分の事しか考えない小乗と
上から目線で非難しています。
であれば玄宗が嫌った仏教は
日本が好んだ大乗仏教に限り、
アショーカ王の仏教では
無かった事になりそうです。
しかし空海がこれを学びに
大金をかけた事を考えると、
朝廷の動きが気になりますね。
空海には様々な謎が存在しますが、
私の研究によりこの中の大部分が
解明出来るのが強みではあります。