遣唐使僧・円仁

橘逸勢の後に遣唐使として
唐で密教を学んだ僧侶は
何人も知られてはいますが、
逸勢の時代を考える上での
重要なヒントを与える僧に
円仁が(えんじん)がいます。

彼の日本仏教への足跡には
非常に多大な物がありますが、
最澄・空海の影に隠れて、
余り有名ではありませんね。

彼は唐に背き不法滞在で密教を
学び続けた人物とされますが、
帰国後は東北に寺院を作ったり、
赤山禅院を建てた事でも有名です。

赤山禅院は陰陽道の神である
泰山府君を祀っていますが、
境内に金神社が鎮座しており、
陰陽道で最悪の祟り神とされる
艮の金神にもリンクしています。

彼がいなければ日本の歴史が
大きく変わっていた可能性も
十分にある人物ではありますが、
彼の記した日記に大きな謎が
秘められているのが問題です。

日本を含めたアジア全体の
歴代に関わる内容が記される、
この時代に起こった大事件の
唯一の同時代記録とされます。

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