円仁は会昌の弾圧を行った
武宗を酷く書き記しており、
道教に傾倒した愚劣な人物の
印象を持たせる様々な記述を
彼の日記に書き残しています。
中々に面白い事が彼の日記に
書き残されているのですが、
結構な分量をして割いており、
余程悪く言いたかった事が
ヒシヒシと伝わって来ますね。
かの大帝国であった唐の皇帝が、
余りにも頭の悪い人物として
記されている記述の中身は、
かなり面白いものがあります。
余りにもキャラが立っていて、
空想小説でも読んでいる気分に
させてくれる内容なのですが、
小説家として考えるなら、
千数百年も残されるレベルの
物語を書いた事になりますね。
この日記一つでこの時代周辺が
語られる事になっているので、
解釈如何で全く違った歴史観が
浮かび上がる事になります。
記述の中身を読んでみて、
信憑性を探ってみましょう。
コメント
別所温泉北向き観音の設置を命じたのは円仁 (街道をゆく司馬遼太郎書)書いてありました。洞察力、経営力の優れた人と思いました。
空海・最澄の影に隠れて円仁を始めとした僧が疎かにされていますが、調べてみると影響力が大きい人物が多いですね。
円仁がいなければ比叡山の歴史が大きく変わっていたので、もっと関心を持って研究が進めば良い人物の一人であろうと思います。