八四四年の後半になると、
武宗の仏教弾圧が悪化したと
円仁は日記に記しています。
非公認の僧を一掃して
僧尼の私有財産を没収し、
信仰を辞めさせるのが
主目的であった廃仏が、
インドの宗教を絶滅させる
危険な物となったそうです。
しかし彼の日記には珍しく
ここの部分に対する意味を
認めている所があります。
唐が再び潞府の反乱に対抗する
軍隊を動員するための費用が
莫大であったと記しており、
毎日銅貨二十万連が必要と
されていた事を伝えています。
ただこの軍隊が極悪非道な
行為を行った事も書くので、
上げて落とす形ですね。
翌八四五年三月になると、
残った寺院の奴隸や
その他の財産を没収する
一連の勅令が出たそうです。
国中の寺院は荘園を持つ事を禁じられ、
寺院の奴隸の数や土地、金銭、穀物、
原料などの明細書を作ることが命ぜられ、
詳細に記録し王に報告するよ命令がなされ、
軍の司令官に寺院の明細書を作らせます。
そして以前は悪行の認められた
対象者のみが追放されたのに、
公に認められた大寺院の僧侶も
追放される様になったそうです。
八四五年に悪化したとされる
仏教弾圧は事実でしょうか。
この時代は唐帝国のみでなく
周辺も含めた大変動の時期で、
これらを総合的に見る事で、
全く別の歴史が開示される
可能性を秘めています。