会昌の廃仏の仏教側と道教側の差

道教に唆された武宗が様々な愚行を
犯した事が語られてはいますが、
仏教側の記述は残されてはいても、
道教側の記述は一切残っていません。

少なくとも双方の主張を比較し、
検討する事なしに決めつける事が
正しい姿勢かは分かりません。

これだけ一方的に悪く言われた
道教側からの釈明が何もないなら、
隠蔽したい歴史として斯くしたか、
仏教側に文献を抹消されたか、
何らかの背景があるのでしょう。

国教とされていた道教による
会昌の廃仏の記述が無いなら、
国の記録そのものが抹消され、
大規模な情報隠蔽が存在した
可能性を示唆しています。

数少ない史料を鵜呑みにして
分かった気になる危うさは、
相応のものがありますね。

現代ですら各国のメディアに
総合的に目を通していないと、
特定の陣営に都合の良い情報を
事実として鵜呑みにしかねない
危険性が存在しています。

では当時の唐の周辺国家の動向は、
いかなる物であったのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする