E.ライシャワーは彼の著作
『円仁 唐代中国への旅』で、
会昌の廃仏について記します。
彼は中国では四つの大きな
仏教弾圧が行われており、
三武一宗の弾圧と呼ぶ
分類の弊害を指摘します。
これ以外の数人の中国皇帝も
仏教に対して圧力を加えており、
後世への影響が大きな弾圧も
存在していたと言いますが、
会昌の廃仏の規模は段違いで、
並列に語れないと言います。
三武の弾圧は華北に留まるか、
皇帝の直接支配下にあった部分に
限定されていただけの話であり、
会昌の弾圧は当時中国に存在した
他の外国宗教を全て一掃した
永続的な影響を与えたそうです。
これだけ大規模な弾圧であれば、
もっと日本人に認知があっても
おかしくはない出来事ですが、
これについて詳しく記した
唯一の書を書いたのが日本人で、
灯台元暗しの感はありますね。
この廃仏は仏教サイドから
説明がなされてはいますが、
道教側にも様々な問題が
見てとれるのが厄介です。
則天武后も道教との繋がりが
記録されてはいるのですが、
私の行基の研究を読んだ方は
疑問が出て来ると思います。
しかしここにも一応の
回答を用意してあり、
道教にも二系統があって
玄宗の崇敬した道教は
武則天サイドの道教と
別物と考えています。