九州の熊本県、江田船山古墳(五世紀後半~六世紀初頭)出土の鉄剣に
「治天下獲□□□鹵大王世」と彫られていました。
一般的に、これも稲荷山古墳出土の鉄剣に記された
ワカタケルではないかとされているようです。
文官として朝廷に出仕していた事も記されているので、
北関東から九州に至る広域を統治する王が
ワカタケルであったのでしょうか。
昭和58年、群馬県高崎市の上越新幹線の工事現場から、
86m四方の敷地が水の上に浮かぶ
政務・祭祀・経済・軍事・流通の機能を持つ
日本最大規模の宮殿が発見されました。
上毛野から王の館にも匹敵する遺跡の存在を思わせる
黄金の靴・冠・ベルト・巨大イヤリング・馬具、銅碗や鏡などの遺品が
多数出土しているので関東王国が存在したとする説もあり、
関東は全国一の金環出土地とされています。
中国北朝・北斉の墓から多く出土する(金)銅製の王子形水瓶が、
日本では高崎市・綿貫観音山古墳から出土したそうです。
北斉(550-557)は高句麗の奥・契丹に隣接していましたが、
北斉と日本との交流があった事は記されておらず、
先住民族王権が交流していたのでしょう。
メソポタミアで流行したパルメット模様の柄のある剣も見つかっており、
この王権は既存のイメージより高度な文明を誇っていたのでしょう。
九州から北関東にかけて見てみると、
海洋交通における中心地は三遠になり、
倭王・武は東西の国を統治したと語っているので、
東西の中心地である三遠に拠を構えていたのでしょう。
渥美半島は北九州で大陸との交易を行った
海洋民族である安曇族から名が来ているとされるので、
船での移動はお手のもので大陸との交易があったなら、
北関東の出土品も安曇族のものであったのか、
北関東と三遠の関係は平将門の深層に遥かに詳しく書きましたが、
一般に出すにはもう少し後にします。
コメント
古代も今も 大陸が乱れると日本海を越えて人がやって来ました 絶対安全だと確信しないと逃げられない高貴なひと 徐福さんのように特殊技術の人もたくさんいたと思います
海を渡って来た人が混ざり愛 新しく文化を醸すという意味で 日本は特別な国?
往き倒れた賢い女の人がそのまま奥さんになる民話の多いのが証し?
大陸が治まってくれないと 今は船もたくさんあります コロナは吉凶どちらなんでしょう
昔の日本は今よりも国際的だった可能性もありますよ。
安曇族は船で交易をしていましたから、
シルクロードの最終地が日本だったのかも知れませんね。
返信ありがとうございます
日本は世界の限界集落なのだそうです 戦いを極めるともう逃げるところがないので 皆が暮らせるように
一文字の姓をふたつにして血族の多様性を持たせたのかも知れないと しみじみご先祖様をありがたく思い致します✨