甘露の変は宦官の王守澄が
皇帝を暗殺した事が発端ですが、
皇帝を自由に殺せるだけの
力を持つようになった経緯は、
高力士から始まるとされます。
安史の乱を平定した玄宗皇帝の
側近であった宦官の高力士は、
内侍省の長官知内侍省事に
皇帝から任命されています。
知内侍省事は正三品の位で、
宦官が正三品を与えられたのは
高力士が初めとされています。
高力士は高い地位を得ても、
権力を乱用しなかったものの、
次の皇帝の粛宗の側近となった
宦官の李輔国は国を私物化。
好き勝手に皇太子を擁立したり、
玄宗の復位を防ぐために軟禁して
皇帝を凌ぐ権力を行使し始めたと
伝えられてはいるのですが、
この周辺には謎が存在します。
宦官が力を持ったのは、
玄宗よりも一代前の
武則天の頃からであり、
日本とも関わりの深い
歴史の闇が存在します。
則天武后の詳細については
行基の本に書いてあるので、
関心のある方はご覧下さい。
会昌の廃仏を単独の事件と
扱かう傾向がありますが、
行基の研究をした身からは、
遥か長い流れで見る事を
提唱せざるを得ません。