甘露の変

宦官の力が余りにも強くなり、
皇帝はこれを排除しようと
何度か動きを出しています。

徳宗の後即位した順宗皇帝は、
翰林の王叔文や文人の柳宗元を用い
宦官政治の粛正を図ったものの、
宦官の抵抗にあい失敗します。

835年には甘露の変が起きており、
宰禁訓は宦官を一網打尽にしようと
兵士の詰め所にあった石榴の木に、
吉兆の甘露が降ったと偽る事で、
仇士良を誘き寄せます。

しかし企みを察知された事から
関係者が粛正されてしまい、
宦官の力を磐石にしたそうです。

仇士良は円仁の長安における
修行を助けたとされますが、
優れた人物としてでなく、
権力を我が物顔に行使する
危険人物に扱われています。

この六年後に会昌の廃仏が
開始された事を考えると、
仇士良の排除の記述が
余りにも貧弱過ぎるのが、
懸念を起こさせますね。

これだけの力を持った宦官を
新皇帝が簡単に排除出来たと
考える事は難しい話であり、
大規模な歴史的事象の隠蔽が
存在する可能性を感じさせます。

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