唐を滅亡寸前にまで追い込んだ
安史の乱を起こした安禄山は、
禄山(ロクシャン)で光を意味し、
ゾロアスター教を暗示させます。
ソグド人はゾロアスター教・
マニ教・景教を信仰しており、
乱の後にこれらの信仰が
伝播した事が伝えられます。
安禄山が反乱を起こした時、
唐は援兵を四海に向って
要請する詔を発しています。
その中で唐に協力したのは
回紇(ウイグル)と西域の
若干の国とされていますが、
西域の軍の多くは統率下にあり、
回紇が自主的に動いています。
唐では回紇と約束して、
長安を取った暁には
土地と士庶は唐に帰し、
銀帛(きんぱく)と子女は
回紇に与える事にします。
回紇を怖れて安慶緖の軍は
洛陽を棄てて北走したので、
慢心した回紇は唐への要求を
エスカレートさせていきます。
757年には歳毎に絹二万匹を
送る約束で北方に還らせるも、
後に洛陽が史思明に取り返され、
再び回紇の力を借りる必要性が
出て来る事になったそうです。
しかし当時の回紇は唐の衰えを
詳しく把握していた事から、
過大な要求をしておきながら、
唐への協力を出し惜しむ様な
姑息な真似をしたそうです。
回紇の要求はエスカレートし、
唐から莫大な歳幣をもらう上に
馬の貿易権を独占するだけでなく、
死馬を生馬の値段で売り付けたり、
長安で暴行を繰り返したとされます。
回紇の信仰したマニ教が唐の各地に
広まったとされてはいますが、
宗教を信仰しつつ中々に酷い事を
平気で行っている所を見ると、
唐のでマニ教の評価は低そうです。
武則天が保護した三つの一神教に
マニ教が含まれている事から、
唐からマニ教を排除する事は、
政治的課題だったのでしょう。
現代日本も元総理が射殺されてから
某宗教団体の話が浮上しましたが、
大乗仏教やキリスト教の系統は、
昔からこの類いの話が多いですね。