会昌の廃仏が唐のみでなく、
チベット王の仏教弾圧とも
連動していたとすれば、
ウイグルに疑問が出ます。
唐・チベット・ウイグルが
三国会盟を結んでいたなら、
唐・チベットのみが連動し
ウイグルが排除されていた
可能性は低いでしょう。
ウイグルで反乱が起こされ
カガンが死んだ話の裏に、
これらに通じた動きが
存在していたとしても、
的外れではないでしょう。
となると会昌の廃仏は、
アジア全土を巻き込んだ
大規模な一神教排除運動の
可能性が浮上してきます。
この時代の半島や日本に、
これに関わった痕跡が
見つけられるのでしょうか。
半島や日本の歴史を探ると、
様々な矛盾が出て来ます。
これらを探る事により、
日本の歴史も大規模に
書き換えられられうる
可能性が存在しています。