846年に武宗が死んだ事により
会昌の廃仏は終焉を迎え、
牛李の党争も終わったそうです。
854年に江南地方の諸藩鎮で
次々に反落が起こった後に、
康全泰の乱が起こった事が
知られていますね。
康全泰の乱の次の年には、
裘甫の乱が起こっていますが、
龐勛の乱・黄巣の乱と発展し、
反乱が大規模化していきます。
康はソグド人に用いられる
姓である事が知られており、
一神教勢力との戦いが
継続していたのでしょう。
安史の乱もソグド人が起こし、
唐を滅亡寸前まで追い込む
甚大な被害をもたらした事が
伝えられてはいるのですが、
問題が継続していなかった
歴史観の修正がいりそうです。
他との共存で発展する事より、
自らのヒエラルキーに入らない
有力な者を悪者として扱い、
神の名による虐殺の正当化が
行われていたのであれば、
通常の犯罪より危険そうです。
かのアレクサンダー大王は、
ゾロアスター教を除いて
全ての宗教を保護した事が
伝えられてはいますが、
犯罪行為の数々を見れば、
非難する事は難しそうです。
ソグド人が金融をした事が、
ユダヤ金融とどう繋がるかの
資料があるかは知りませんが、
現代にまで繋がる問題なのは、
ほぼ間違い無い話でしょう。