アジアの840年代半ばまでは、
大変動の時期とされています
840年に武宗が兄文宗を継ぎ
第一五代皇帝となった後に
会昌の廃仏を始めますが、
朝鮮半島でも翌841年には、
大きな反乱が起こっています。
唐~新羅~日本に及ぶ
東シナ海交易の中心者で、
新羅に清海鎮大使に任ぜられ、
神武王の擁立に関与した
弓福(日本名・張宝高)が、
反乱を起こし暗殺されます。
そして842年には日本国に
承和の変が起こった事が、
一般の歴史で伝えられます。
これらが全くの無関係に
起こった物と言い切るのは
難しい問題を孕んでいます。
この周辺は不明瞭な部分が
数多く残されていますが、
視野を広くし関係を探れば、
新たな着眼点が得られます。
唐の廃仏と半島の動きに、
何の関係も存在しないと
伝えられてはいますが、
張宝高とその周辺を探ると、
日本国内にも不穏な動きを
見る事が出きるでしょう。