豊橋のれいわ新撰組の市議会議員が、
文化財センターや美術館のトップと
打ち合わせをするとの話だったので、
質問項目をリストアップして送り、
返答を聞く事にしました。
・渥美郡は北九州や長野等に進出した安曇族から来た名で、これらの地域には修正鬼会(しゅじょうおにえ)や花祭などの鬼の祭か、鬼祭や魏志鬼八面大王などの鬼退治が残されているのは、卑弥呼の鬼道と関係する可能性があるのでは無いか。
・境松(さかいまつ)遺跡が発掘され、東日本の古墳時代で三番目に大きい神殿ではないかと言われているが、これだけの物が発掘されているなら、この地域に相応の王朝が存在した可能性はどの程度あるのか。
・飽海遺跡が大宝律令(701年)の後に役所であったと推定される飽海郡衙(あくみぐんが)ではないかとされているが、国を二分した壬申の乱に勝利し古事記編纂に関わった天武天皇の后である持統天皇が、崩御の前に三河行幸をして神社を建て、吉田神社の隠れ御祭神となっているが、この地域の歴史の隠蔽工作がなされた可能性は無いか。
・東三河は千六百基の古墳が確認される密集地だが、卑弥呼の頃から古墳時代が始まり、初期段階の前方後方墳が発見されているのであれば、飽海遺跡が邪馬台国の遺跡である可能性は無いか。
・雄略天皇の初瀬朝倉宮(はっせあさくらのみや)の候補地は複数あるが、なぜ朝倉川河口の飽海遺跡は候補地の一つとして研究されていないのか。
・雄略天皇は若武(ワカタケル)天皇と呼ばれているが、稲荷山古墳から出土した鉄剣に掘られたワカタケルに対応する可能性は無いか。
・倭王武は上表文で、東は五十五カ国、西は六十六カ国を統治した事を伝えているが、日本列島の中央部分に宮を置いた事を意味するのであれば、飽海遺跡が倭武の斯鬼(シキ)宮である線で全国的に研究すべきではないか。
・豊橋市図書館の郷土資料館にある『牛窪密談記』には、豊川への徐福渡来伝承が記されているが、徐福渡来周辺から銅鐸時代が始まり、豊橋市に隣接する新浜松市は銅鐸出土数が日本一なので、三遠式銅鐸出土地であるこの地域に徐福王朝が存在した可能性は高いのではないか。
・飽海遺跡が徐福王朝や邪馬台国と関係するかは、弥生や縄文の深い層まで掘らなければ調査が出来ないが、どこまで掘る計画なのか。
・石巻から弥生時代初期の遠賀川式土器が見つかっているが、陶磁器研究で弥生土器-黒色土器の流れが古墳時代に半島からの技術的伝播によらない国内で成立するとする研究があるので、飽海遺跡も弥生時代初期の層まで掘る必要があるのではないか。
・飽海遺跡が邪馬台国と関係する可能性があるのなら、地方でクローズドに計画を進めるのでなく、全国的に議論すべき場所となり得るのではないか。
・古事記がギリシャ神話に酷似し、法隆寺の柱にパルテノン神殿のエンタシスが用いられていると言われているが、秦始皇帝の兵馬傭にギリシャ彫刻の影響が指摘されており、徐福がギリシャ文化を持ち込んだとすれば、飽海遺跡は国際的な価値を持つ文化財として研究対象とすべきではないか。
と言う事で返答を頂いたのですが、
リストを使わなかったそうで、
全く関係ない回答が来ました。
豊橋公園の文化財センターの方に山本さまの文章を見せました。豊橋公園は陸上競技場を作る時や、他にも水道管工事の時などに発掘調査しても、邪馬台国と結びつくようなものはないそうです。
飽海遺跡も、5〜6世紀の人が住んでいた集落の跡地が正しいのではないでしょうか。
豊橋に古墳や遺跡が多いのは事実ですが全国で言うと14〜15番くらいで、古墳のサイズも奈良等に比べると小さい気がするんです。
との事ですが議論すべき問題が
見受けられる返答ですね。
古墳の規模に関して言うのであれば、
豊橋で奈良以前に作られ始めたのが
邪馬台国との関係で重要な点で、
卑弥呼の時代と被る前方後円墳が
存在している事こそ問題です。
邪馬台国が安曇族と関係すれば、
邪馬台国の首都の議論ならまだ
整立する議論にはなりますが、
広域な勢力であったのであれば
豊橋に遺跡があってもOKです。
飽海遺跡が5-6世紀の集落の跡地が
正しいと思うのは個人の主観で、
推測ではなく学術的根拠を出して
議論する事が必要なのでしょう。
個人の判断で違うと言ったのに
工事の後に間違いが発覚すれば、
責任問題に関わる事になります。
発掘もどこまで深く掘ったかが
重要な問題となって来る事は
以前の記事にも書きましたが、
前方後円墳が存在するだけで、
邪馬台国との関係が全く無いと
断定するのは厳しいでしょう。
それ以前に石巻で発掘された
土器についても質問しており、
弥生時代の土器があるなら、
卑弥呼以前の徐福の時代にも
関わる話となって来ます。
信じるか否かは個人の自由でも、
公益に関わる話なのであれば、
学術的に検討し議論した上で
進めるべき案件なのでしょう。
もし後から邪馬台国の宮と
学術的に認知された場合、
誰がどう責任を取るのかの
問題も関わって来ますね。
れいわ新撰組の話であれば、
地元では増税反対デモ中止も、
大勢を関わらせた後なのに
国会日程の都合が理由なのは、
流石に苦しいと言われています。
中には豊橋公園の話を知ったのに
動かない理由を追及されないよう
逃げたのではないかと言う人も
そこそこいる状況ではあるので、
議員には成果をあげる事によって
信頼を勝ち取って頂きたい所です。