『邪馬台国の謎に迫る』

歴史関係者からNHKスペシャル
「古代史ミステリー 第1集
邪馬台国の謎に迫る」と言う
番組を紹介されたので、
参考のために見てみました。

最近は歴史関係の人と大量に
メールのやり取りをしていて、
専門外な質問が来ていますが、
一応は全部回答しています。

邪馬台国に関する質問も多く、
質問に答えていくと明瞭化が
進んでいく感じがしますね。

番組では前方後方墳が狗奴国、
前方後円墳が邪馬台国の墓と
紹介されていたのですが、
根拠は語られませんでした。

この学説は赤塚次郎氏の書いた、
『幻の王国・狗奴国を旅する』に
記されている研究内容ですね。

この本の中には尾張の遺跡を
調査した事が記されていて、
尾張や伊勢の前方後方墳を、
狗奴国と関係付けていました。

ただ前方後方墳は東三河にも
見られる形態であるのですが、
ここには触れられていません。

むしろ古墳の密集度では
千六百基を誇っており、
全国でも有数であるのに
触れられる事が少なく、
残念な所がありますね。

これは個人の研究者でなく
日本全体の傾向性であり、
私が浮いている感じなのも
ここが理由の一つです。

前方後方墳も前方後円墳も、
敵対勢力のシンボルだったと
断定出来ない可能性もあり、
ここの根拠も不明瞭ですね。

今までの日本史研究では、
西日本優位の歴史観があり
東日本を野蛮な民族として
蔑む傾向がありましたが、
この影響もありそうです。

それより気になったのが、
何で邪馬台国の話になると、
あんな服装や建物になるか
根拠が良く分からないので、
是非とも質問したいですね。

卑弥呼より四世紀ほど前に、
徐福が一国を作れる規模の
移民団を引き連れており、
秦帝国レベルの文明水準が
存在した可能性は高いです。

東三河にも徐福伝承があり、
この地域の研究をしないと
邪馬台国の深い話までは、
分からないと思います。

本当は一冊程度は邪馬台国の
研究がストックされており、
書こうと思えば書けますが、
時間的問題で苦慮しています。

徐福から卑弥呼への流れは、
私の本を読んだ方であれば、
壮大な物となる想像が
容易に出来ると思います。

豊橋公園の問題もあるので、
邪馬台国の本を集中して
書き上げようか迷っており、
これをすると寿命を削る
感覚がするのが難点です。

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