新羅の海上勢力

承和八年(841)二月に、
太政官は大宰府に仰せて、
張宝高が献じた貢物の
返却を命じています。

朝廷の新羅憎しは昔からで、
日本書紀に目を通すと、
コンプレックスの塊の様な
悪口ばかり目に付きます。

新羅の臣下である張宝高と
関係を結んでいなかったと
伝えている記述ですが、
遣唐使が新羅船に助けられた
都合悪い功績はスルーです。

国家プロジェクトとして
膨大な国費を投入した
遣唐使の帰国に際し、
張宝高の船が助けた事を
反故にする行為ですが、
マトモな国ならしませんね。,,,,,

そして張宝高は貿易のみでなく、
それを支える軍事力も補助する
一大勢力であった事を考えると、
キナ臭い雰囲気が出てきます。

張宝高は海商としてしか
日本で認識されていませんが、
彼は海軍はおろか国政にまで
深く関わった人物とされます。

なぜ彼の海商の側面だけが
強調される事になったのか、
気になる所ではあります。

新羅との政治・軍事的な問題が
当時の日本に存在していたなら、
敢えて隠蔽するだけの大規模な
事件があったと言うのでしょうか。

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